労働者とは
労働者とは、会社に雇用されて労働力を提供し、賃金を受け取って生活している人のことをいう。会社の代表者は労働者ではない。
労働者に認められた権利に労働三権がある。労働三権とは、日本国憲法第28条で保障する労働者の基本的権利で、団結権、団体交渉権、争議権の3つをいう。団結権とは、労働者が労働条件の改善のために組合などをつくり団結し活動する権利のこと。団体交渉権とは、会社と会社の団体と組合が労働条件の改善のために団結して交渉する権利のこと。争議権とは、労働組合がストライキなどを行なうことを認める権利のことをいう。 会社に比べて弱い立場にある労働者の交渉力を高めることが目的にある。
データ復旧への征服は継続され、エンコミエンダ制のもとエスパニョーラ島などでサトウキビの生産がはじまる。また苛酷な労働と疫病で先住民が死亡したため、アフリカから黒人奴隷を新たな労働力として持ち込まれる。このような新大陸での苛酷な現状はドミニコ会司祭ラス・カサスによって激しく非難された。ポルトガルがインド航路を発見したことに対抗して、フェルディナンド・マゼランに新大陸周りで香料諸島への航路を探検させるが、この結果、スペインはフィリピンを植民地にした。
1521年には エルナン・コルテスによってアステカ王国を滅ぼし、続いて1532年に フランシスコ・ピサロよってインカ帝国を滅ぼし、アメリカ大陸本土はあらかたスペインの植民地となった。このような新大陸での探検と征服が進む一方で、スペイン人による先住民の支配は社会の荒廃と資源の収奪を極め、メキシコでは麻疹や天然痘、百日咳などで人口が激減し、1545年にポトシ銀山で銀の採掘を開始されると先住民は徴発され「ミタ」と呼ばれる賦役制度を課され、疫病とあいまって、先住民の共同体は崩壊する。1550年にはこのような状況の是非を問う「バリャドリード論争」がスペイン本国で展開された。
監視カメラ、このような多大な犠牲の元スペインには大量の銀をもたらされ、スペイン黄金時代を築くことになった。一方で、南米からの銀の大量流入で、それまで銀の産地として栄えていた南ドイツ地方の銀山は衰退し、また、銀の流通量増加による価値の低下でインフレ傾向が起こるいわゆる価格革命が起こった。
「黄金の世紀」におけるスペイン(赤)とポルトガル(青)の領土、及び植民地(1580-1640)。特にアメリカのスペイン植民地をヌエバ・エスパーニャを含む。16世紀中頃から17世紀前半までの約80年間はスペインが繁栄した時期であり、スペイン史上「黄金の世紀(Siglo de Oro)」と呼ばれる。カルロス1世はフランスのフランソワ1世と熾烈な争いの末に神聖ローマ皇帝に即位し、ヨーロッパにも広大な領土をもつことになった。しかし、その治世は多難でイタリア戦争ではフランソワ1世と争い、さらに宗教改革による神聖ローマ帝国の動揺にカトリックの盟主として対処することになった。さらにオスマン帝国に第一次ウィーン包囲の脅威にさらされ、プレヴェザの海戦ではオスマン帝国に敗北を喫した。
看護師 求人のフェリペ2世の時代には、新大陸からもたらされる富で最盛期を迎え、マドリードに遷都しエル・エスコリアル宮殿を営んだ。さらにレパントの海戦でオスマン帝国を破り先王の雪辱をはたした。1580年にはポルトガルを併合したことでその植民地をも獲得し「太陽の沈まぬ帝国」(スペイン帝国)となった。
最盛期を迎える一方で、足元では八十年戦争やアルマダ海戦の敗北など衰退の兆しも現れ始めていた。国内にも問題がなかったわけではない。海外からの富に頼る一方で、国内は旧態依然としたままであり、王室の国庫も決して良い状態ではなかった。前世紀のレコンキスタの精神は、ともすればムスリムの徹底した排除や進取の気風に富むプロテスタントの弾圧(異端審問参照)へと向かい、足元の産業や経済の基盤を弱めることになった。さらには、スペインの経済を支えていたユダヤ人の追放、改宗への強要など、これらはスペインの停滞・衰退へと向かう要因となった。
繁栄の終わり
転職サイトに アルマダ海戦でスペインの無敵艦隊がイングランド海軍に敗れると次第に制海権を失っていく。イングランドはこの後、徐々に力をつけ、1世紀ほど後の17世紀後半には海上を制するイギリス帝国へと発展していった。フェリペ3世のころには八十年戦争でオランダが事実上独立。スペインは貿易や産業で重要な地域となっていたオランダを失った。さらにフェリペ4世の治世の1640年にはポルトガルが独立。その後ハプスブルク家、カトリック国として30年戦争に介入するが、敗退する。1659年 フランスとピレネー条約を締結。スペインの「黄金時代」は完全に終わりを告げた。
18世紀に入るとスペインハプスブルク家が断絶し、フランスのルイ14世は自らの孫、ブルボン家のフィリップをスペイン王にしようとした。ところがそれに各国が異議を唱えスペイン継承戦争が始まった。この戦争は12年に及び、1713年のユトレヒト条約でフィリップがフェリペ5世として即位することは承認されたが、イギリスにジブラルタルを割譲。さらに新大陸に於いてもフロリダなどを譲り、海外での影響力は著しく低下した。その後、オーストリア継承戦争、7年戦争に参加するがイギリス、フランス、オランダなどの新興勢力の後塵を拝することとなった。
このように対外的には衰えを見せたスペインでが、国内では産業の成長が進んだ。また、1759年に即位したカルロス3世によって、ある程度の中興を果たしている。
ナポレオンの侵攻
フランシスコ・デ・ゴヤ『5月3日の虐殺』1803年 - ナポレオン戦争勃発
1805年 - トラファルガーの海戦
1807年 - ナポレオンの大陸封鎖令にスペインも参加する。
1808年 - ナポレオンの侵攻を許す。カルロス4世退位。その結果ナポレオンの兄ジョゼフ・ボナパルトがスペイン王ホセ1世となり、カタルーニャはフランス帝国の直轄地になる。しかし、スペイン人がそれに反発し1808年の5月ごろから半島戦争と呼ばれる内戦となる。このときに、新大陸の植民地にも独立の動きが生じる。
1814年 - ホセ1世退位。ブルボン家のフェルナンド7世が国王に即位。
王制復古
1820年1月 - リエゴ革命が起こる。自由主義勢力がスペインの王朝を倒し、一時革命政府を樹立した。この混乱期に中南米の植民地が相次いで実質的な独立を達成することになった。→ アメリカ大陸諸国の独立年表
1833年10月 - カルリスタ戦争が起こる
1868年9月 - スペイン9月革命
1873年2月 - 第一共和政成立。
1874年1月 - スペイン王制復古
1898年 - 米西戦争
フェルナンド2世とイサベル女王の王女フアナを神聖ローマ帝国のマクシミリアン1世の王子ブルゴーニュ公フィリップ(美公)と結婚させた結果、2人の間に王子が2人生まれた。長男のカルロスがスペイン王に即位すると同時に神聖ローマ皇帝カール5世となりスペイン・ハプスブルク朝が啓かれた。この時代は、スペインがヨーロッパで覇を唱える一方、「新大陸の発見」による植民地獲得によって、隆盛を極めることになった。
新大陸の「発見」と征服
『停泊するサンタ・マリア号』(油彩画:1628年)大航海時代、 スペインによるアメリカ大陸の植民地化、および ポルトガル海上帝国も参照
1492年 イスパニア女王イサベル1世の援助を受けたジェノヴァ人クリストファー・コロンブスが新大陸に到達する。これにより、1488年に喜望峰を探検しているポルトガルと利害が衝突する怖れがでたため、ローマ教皇アレクサンデル6世の仲介で1494年にスペインとポルトガルとの間にトルデシリャス条約が結ばれた。またスペインは地中海へも勢力を伸ばし1503年にはナポリ王国を獲得。