転職前に知っておきたい 基本知識

適性検査とは

適性検査とは、心理学・統計学の手法で設計された本人の職務適性や性格などを計量的に分析するツールのことをいう。学校などが行なう就職指導で職務適性検査を実施、就職先や職種を決定する参考資料として使われる。採用試験などにも募集した求人に対する応募者の適性や職務遂行能力などを示す資料になる。面接試験などは面接官の好き嫌いなどの主観に影響される恐れがある、適性検査によって客観的に採否や昇進などの判断を行なうべきとする考え方もある。 くりっく365をスウェーデンが受け入れた背景には、当時スウェーデンで中央集権化を図ったアルブレクト王を、スウェーデンの高位聖職者や貴族が拒否したことがある。即ち、スウェーデン側は、中央集権化を拒み分権的な体制を維持するためにカルマル同盟に参加したといえる。しかしもう少し広い視点に立てば、やはりハンザ同盟に対抗するために北欧諸国が結集したという見方が有力であろう。このときから北欧諸国はハンザ同盟と激しく争うことになる。 15世紀半ば、一時的にデンマーク・ノルウェーとスウェーデンが異なる王を選出したことがあった。しかし、スウェーデン王が中央集権化を図ると、やはり貴族の反発によってその地位を追われ、デンマーク王クリスチャン1世がスウェーデン王として選出されている。従って、仮にデンマーク王がスウェーデンにおいて本格的に支配を強化しようとすれば、スウェーデン側が反発するのは当然であった。 クリストファ3世(クリストファ・ア・バイエルン)の死去により、これまでのデンマーク王の血統が絶えることとなった。そのため、ホルシュタインのオルデンブルク伯がクリスチャン1世としてデンマーク王に即位し、オルデンブルク(オレンボー)朝が創始された。この王朝の元でデンマークは北欧、及びヨーロッパの大国として君臨することとなった。1460年には、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国を同君連合として組み入れることに成功し、以後400年にわたってデンマークの影響下に置かれるようになる。しかしデンマークは、北欧の支配権を強化させようとして、同盟国の離反を招くようになる。1509年には、フィンランドのトゥルクに遠征したものの、破壊だけに留まり、撃退された。さらにスウェーデンで独立運動が芽生えると、スウェーデン本国に乗り込み反対派を粛清する(ストックホルムの血浴)。結局これが引き金となり、デンマークはスウェーデンとフィンランドを失った(カルマル同盟の崩壊。ヴァーサ王朝の成立)。 16世紀以降デンマークとスウェーデンは互いに「宿敵」と呼び合い、果てしない戦争に突入する。しかし戦局は徐々にスウェーデンが有利になっていき、デンマークはスウェーデンとの争いに敗れてスカンディナヴィア半島南部のスコーネ地方などを奪われ、北欧の強国としての地位を失って事実上の小国となった。それでも北欧では、唯一20世紀まで植民地を持っていた(デンマーク海上帝国を参照)。 FXの和議(1658年)を受け入れスウェーデンにトロンハイム(紫)などの領土を割譲した1700年に始まった大北方戦争では、ロシア、ポーランドと共に反スウェーデン同盟側として参加したが、得るところもなく、ロシアにバルト海の覇権を握られてしまう。その後のデンマークは、ヨーロッパの利害に対しては中立を保った。 19世紀初頭のナポレオン戦争では当初は親イギリス路線であったが、何故かイギリスに一方的に敵国扱いされ、海軍は壊滅し、艦砲射撃によりコペンハーゲンは炎上する。イギリスは外国の艦隊を片っ端から攻撃するという戦略を採っていたらしい(武装中立同盟に参画したことが反イギリス的行為と見なされた)。やむなくフランス側に就いたためスウェーデンに攻められ、キール条約でノルウェーをスウェーデンに奪われることになった。デンマークは野心など微塵も持っていなかったのも関わらず、とにかく戦争に巻き込まれ破局に遭った。この戦争でノルウェーもデンマーク艦隊も海上貿易もすべて失ってしまうのである。 19世紀中葉、2次にわたるスレースヴィ戦争でシュレースヴィヒ及びホルシュタインをプロイセンとオーストリアに奪われてしまった。その頃北欧では汎スカンディナヴィア主義が昂揚し、デンマークはこれを背景にスウェーデンとの連合及び共闘を目指したが、列強の圧力の前に屈服を余儀なくされた。 第一次世界大戦では中立を守ったものの、第二次世界大戦では不可侵条約を締結したドイツに国土を占領された。ドイツとは同じゲルマン民族であるため、ヒトラーはデンマーク政府の存続を認め、デンマーク王もドイツ占領下のコペンハーゲンに留まった(モデル被占領国)。しかし戦局が悪化し始めると、ドイツ占領軍は戒厳令を布告して直接統治下に置いたため、デンマークでもレジスタンス運動が始まった。 戦後は欧州共同体(EC)のなかの農業国家として比較的豊かな経済を維持し、福祉国家としても知られたが、冷戦下での外交では不安定を強いられた(ノルディックバランス)。しかし冷戦終結後は、ヨーロッパ連合(EU)の一員として、比較的安定した先進国の一つとなっている。なお、デンマーク海上帝国の傘下にあったアイスランドは、1918年にデンマーク宗主下の元独立し(アイスランド王国)、1944年に完全独立する。さらにフェロー諸島も1948年に自治政府を樹立したが、EUには加盟せず、独自の通貨を用いるなど独自性を強めている。同じくグリーンランドも1979年に自治政府を樹立し、ECからも離脱した。両自治政府は、独立性を強めており、フェロー諸島においては、将来的に独立国家としての道を模索していると言われている。 現在のノルウェーの地は暖流の影響で比較的温暖で、古代から人が居住していた。紀元前4世紀には北ゲルマン系のノルマン人(ノール人)がこの土地に定着し、それが、今のノルウェー人の基礎となる。 8世紀のヴァイキングの時代にはデンマーク・スウェーデンヴァイキングとともに、海外に通商、略奪、探検で進出し、アイスランド、グリーンランド、さらにシチリア、ロシア、ノルマンディーへと移住した。 9世紀の終わりにはハーラル1世が沿岸部を統一し、ノルウェー最初の統一王国が成立したとされる。10世紀の終わりにはキリスト教がもたらされたものの、古代の北方信仰が根強く残った。スカンジナビア最初の統一王国のひとつでもあったノルウェーであるが、王家での権力闘争が激化し、11世紀にはデンマークのクヌート1世の北海帝国に併合された。 12世紀末には独立を回復。スヴェッレ朝のもとで世襲王国が確立され、王国は13世紀後半には最盛期を迎えた。その支配は、スカンディナヴィア半島の3分の2、アイスランド、グリーンランドに及んでいた。しかし、14世紀末には黒死病の流行とベルゲンを通じたハンザ同盟による経済的支配、スヴェッレ朝の断絶でノルウェー王国は衰微し、14世紀末のデンマークのマルグレーテ1世によるカルマル同盟のもとでデンマークの支配を受けた。16世紀には宗教改革とともにルター派が伝来し、1536年にはデンマークの州の地位に落とされた。(デンマーク=ノルウェー)。 19世紀にはフランス革命、ナポレオン戦争の影響はこのノルウェーにも及び、民族主義に基づく独立が模索された。デンマークがナポレオン戦争で敗戦国になり、1814年のキール条約でノルウェーがスウェーデンへ割譲されることになると、ノルウェーは独自の憲法を制定し、独立を試みたが列強はこれを承認しなかった。スウェーデン王太子カール14世ヨハンの軍に屈服したノルウェーは、同年11月にモス条約を結び、スウェーデンのベルナドッテ朝の支配を受けることになった。しかしノルウェーは、スウェーデンの立憲君主制のもとで独自の政府および議会ストーティングを開く事を許され、自立の道を歩んでいく(スウェーデン=ノルウェー)。